イリジウム計画

私がモバイル通信の研究者になりたてのころ、90年代初頭に、次世代の携帯電話システムとして衛星通信もよく議論されていました。米国モトローラ社が当時推進していたイリジウム計画です。ただ、当時より、これは一般の人々が利用する携帯通信としては、ちょっと無理があるのではないかと感じていました。

まず、イリジウム衛星は地上から780kmもの彼方に浮遊しています。電波は距離が長くなればなるほど減衰し、遅延も長くなります。

しかし、もっと大きな問題は、一つの衛星(の1ビームスポット)が4万平方kmものエリアをカバーするという点です。数多くのユーザを収容しなければならない携帯電話として利用するには非現実的だと言わざるを得ません。4万平方kmは、ほぼ九州と同じ広さです。これをわずか1基の基地局でカバーするわけです。九州の人口は1,400万人ほど。例えばその0.1%の人が同時に通信を行うと、1.4万人の同時接続が発生します。これを1基の衛星で、しかもわずか10MHzの帯域によって処理するのはあまりに無謀です。

イリジウム計画

ちなみに、携帯電話の場合、例えばドコモ社は九州エリアに推計4.2万局の基地局を設置しており(全国42万局の10%として計算*1)、帯域幅は合計で440MHzが割り当てられています*1 (ミリ波帯は除く)。かたやイリジウムは、1台の基地局、かつわずか10MHzの帯域で九州エリア全域をカバーしようというのですから*2、明らかに無謀であると言えます。イリジウムのインフラ規模であれば、非常用携帯電話などの緊急用途での活用が現実的と言えるでしょう。実際にそのような用途でイリジウム衛星通信網は活用されているそうです。

*1 https://www.soumu.go.jp/main_content/000859612.pdf
*2 https://www.soumu.go.jp/main_content/000530452.pdf

スモールセル化が進んだ衛星通信システム Starlink

一方、話題のStarlinkはどうでしょうか?

本ブログを執筆時点では、衛星2,500基ほどが稼働中、最終的に2万基以上を稼働させる計画だそうです。1つのStarlink衛星がカバーするエリアはおよそ400平方km。イリジウムの100分の1のエリアです。つまり、Starlinkは100基の衛星で九州全体をカバーすることになります。割り当てられている周波数帯域幅は2.5GHz。イリジウムに比べてずいぶんと余裕がありますね。衛星1基あたりのカバーエリアは100分の1,周波数帯域幅は250倍、つまり、Starlinkはイリジウムに比べて25,000倍、回線に余裕があるということになります。

ところで、イリジウム衛星1基のカバーエリアは4万平方キロでしたが、Starlinkは400平方キロ、ずいぶんと小さいですね。Starlinkはイリジウムにくらべてスモールセル化が進んだ衛星通信システムだと言えます。そう、PicoCELAの名前の由来はスモールセルであることを、第7回の当ブログ「スモールセルが世界を救う!」で説明しましたが、衛星通信にもスモールセル化の流れが進行しているということなのです!

システム容量比べ

九州エリアでの、ドコモ社の携帯電話システムの容量とStarlinkのシステム容量を比べてみましょう。ここでは、少し乱暴ですが簡易な目安を得る手法として、セル数に周波数帯域幅を乗じたものを容量と定義することにします。隣接セル間の電波干渉によるシステム容量の減少は、周波数利用効率という指標を用いてその影響を差し引くことにします。

システム容量比べ

どうですか?いくらStarlinkと言えども、やはり携帯電話システムに比べるとずいぶんとシステム容量は低いですね。

この表からもStarilnkが現在の携帯電話の代替になるというのは少し無理があると言えます。さらに、別の観点からも携帯電話と衛星通信を対等に比べるのは無理があると言えます。つまり、衛星通信は天空が開けた場所で、かつ見通しが取れていないとほとんど通信はできないという点です。

衛星通信はその画期性を誰もが認めるところですが、携帯電話の代替というよりは、もっと別の活用にこそ真の利用価値があると言えます。

衛星通信の真の利用価値

携帯電話の基地局もWi-Fiアクセスポイントも大元のインターネット回線が必要です。このインターネット回線は通常は光回線が適用されます。衛星通信ではこの光回線が不要です。衛星通信アンテナを設置すればすぐにインターネットに繋げられるのです。衛星通信は光回線の代替とも捉えられます。

山頂にStarlinkのアンテナを設置すれば、そこにインターネット回線が確保されます。船の上、飛行機の屋根、奥地の秘境といった現在の携帯電話がカバーしていない場所にインターネット回線をすぐに確保することが出来るのです。これは画期的です。

しかし、子機衛星端末は我々が携帯できるようなサイズ(直径50cmのアンテナ!)ではなく、また天空が開けた場所でしか使えません。スマートフォンに衛星通信機能を搭載する検討が始まっていますが、小さな筐体のスマートフォンには大きなアンテナ利得を与えることは難しく、現在のセルラーやWi-Fi並みの通信速度を得ることは困難でしょう。また、天空が開けた場所の通信が基本となるでしょうから、使い勝手も今のセルラーほどは良くないと考えられます。衛星通信は、セルラーやWi-Fによって提供されるローカルエリアと同じような無線空間を提供する技術ではないのです。

この点を補うべく、Starlinkの子機キットにはwi-fiルータが付属します。が、そのカバーエリアは狭く広範囲を確保することはできません。建物の屋上にStarlinkの子機衛星端末を設置して衛星とのインターネット回線を確保はできても、それだけではその建物内の隅々まで無線通信環境を構築することはできません。

そこでPicoCELAの登場です。

PicoCELA+Starlink

PicoCELAは広域な無線ローカルエリアをLANケーブルフリーで形成するための技術です。これにStarlinkを連携させることで光回線を敷設せずとも大元のインターネット回線を確保できます。衛星通信だけでは困難なローカルエリアの面的カバーエリア確保の課題を解決することができます。

PicoCELA+Starlink

PicoCELA+Starlinkは今後様々な応用が考えられます。イベント会場でのフリーWi-Fi、スポーツイベント等でのカメラ中継、建築土木現場での業務用自営Wi-Fi網、農業・畜産DXなどなど。

Starlink等の衛星通信システムの発展によって自営ブロードバンド無線ネットワークの活用の領域が更に広がっていくでしょう。

    

著者

代表取締役社長 古川 浩

PicoCELA株式会社
代表取締役社長 古川 浩

NEC、九州大学教授を経て現職。九大在職中にPicoCELAを創業。
一貫して無線通信システムの研究開発ならびに事業化に従事。工学博士。